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朝鮮人虐殺否定本の暴動隠蔽陰謀論がイミフ過ぎて泣けてくる

 

前にも書いたが、加藤康男著『関東大震災朝鮮人虐殺」はなかった!』(ワック 2014年)における虐殺否定論は、論理的には次のような構造を持っている。

 

  朝鮮人が暴動を起こしているというのは流言ではなく事実だった
    その証拠に、震災直後の新聞に暴動を伝える記事が大量に載っている
    後にこれらが流言とされたのは、政府が隠蔽工作を行ったからだ

  朝鮮人は確かに殺されたが、これは暴動に対する反撃の結果だから虐殺ではない

 

震災直後の新聞に掲載された朝鮮人暴動記事(加藤氏がもっぱら依拠する9月3日付東京日日新聞も含め)にまったく信憑性がないことはこちらで説明しておいた。

朝鮮人暴動の実在を主張する唯一の根拠だった新聞記事の証拠性が否定された以上、隠蔽工作説も含め、上記主張の成立する余地はない。当たり前だが、もともとなかったことを隠蔽するための工作など、行われるはずがないからである。

 

とはいえ、この手の否定論がどのように組み立てられているのかを観察するのも無駄ではないだろうから、隠蔽工作説の方もひと通り見ていくことにしよう。

 

加藤氏によると、現に目の前で行われている朝鮮人暴動を勅令まで出させてあえて隠蔽するという驚くべき方針を定めたのは、当時新任の内務相、後藤新平なのだそうだ。では、後藤はなぜそんな決断をしたのか?

加藤氏は次のように書く。

 

国体=摂政宮の安全を維持するのが自分の使命だと後藤は腹を決めていた。そのためには宥和策を選び、一時しのぎをする作戦に切り換えるのが得策だと考えたに違いない。この点は震災と朝鮮政策を考えるうえで見逃せない政策変更の要である。おそらくこの選択は、後藤新平が下したこれまでの裁断のなかでも際立って難解なものといえるだろう。(P.180)

 

朝鮮人の襲撃自体は事実だが、新内閣の内務相・後藤新平はある決意と策謀をめぐらせて親任式に臨んでいた。

 その後藤の腹のうちとは、現在進行形の朝鮮独立運動家たちの主導によるテロと凶悪犯罪は戒厳令の軍力で凌ぎつつ、自警団を武装放棄させ、民心の安定を図ることにあった。後藤はこのままの状況では、朝鮮人と自警団の内戦状態すら想定しなければならなかったのかもしれない

 そうなれば、最も憂慮されるのは摂政宮に何らかの危害が及ぶことだった。その恐れを後藤は感知していた。したがって、ここは強引に新聞などの操作をもって自警団を引かせる以外に策はない、そう腹を括ったに違いない。(P.209)

 

 そんな後藤にほどなく正力が惚れ込むようになったのは、朝鮮の独立運動家たちへの対策が並々ならぬ決意の下に変更された真相を知ったからである。

 後年、野球を縁に正力と知己を得た「ベースボール・マガジン社」の創業者・池田恒雄は、その裏話を筆者に語ったことがある。後藤が正力を呼んで次のように言ったのだという。

 

「正力君、朝鮮人の暴動があったことは事実だし、自分は知らないわけではない。だがな、このまま自警団に任せて力で押し潰せば、彼らとてそのままは引き下がらないだろう。必ずその報復がくる。報復の矢先が万が一にも御上に向けられるようなことがあったら、腹を切ったくらいでは済まされない。だからここは、自警団には気の毒だが、引いてもらう。ねぎらいはするつもりだがね」

 

 三十八歳の正力は百戦錬磨の後藤のこの言葉に感激し、以後、顔には出さずに「風評」の打ち消し役に徹した。これが後藤が打ち明けた腹のうちだった。(P.213-214)

 

加藤氏の言うとおりであれば、後藤新平は、自警団が朝鮮人暴徒を攻撃することによって彼らの恨みを買い、その報復が摂政宮(昭和天皇)に向かうことを恐れて、一時的な融和策として暴動の存在を隠蔽したことになる。

しかしこの主張は、いったいどこから突っ込めばいいのか困惑してしまうほど、何重にもおかしい。

 

まず、加藤氏自身が描くところによれば、関東大震災時の自警団とは次のような存在だった。

 

自警団の「覚悟」


 ここまでさまざまな経緯を見てきたことで、朝鮮人の襲撃事件が決して「流言蜚語」などという絵空事ではなく、実際に襲撃があったからこそ住民と自警団が自衛的に彼らを排除したのだということが理解されると思う。

 今日、流通している関東大震災関係の専門書の大部分は「流言蜚語のために自警団等が朝鮮人を虐殺した」という前提に立って書かれている。

 何もしない朝鮮人と見られる男が歩いて来たとしよう。

 町内壊滅の騒乱状態にあったとしても、町内会、自警団、青年団員がその朝鮮人をいきなり殺すなどという行為ができるものだろうか。何もしない人間を次々に「虐殺」するなどという行為は、狂人のような指導者がいて洗脳でもされていなければ簡単に実行できるものではない。

 だが、仮に爆弾や凶器、毒薬でも持ち歩く集団が町内に入って来たとすれば、自衛のため相手を殺傷する「決意」や「覚悟」が自警団員に発生するのは状況から当然である。そうしなければ自分たちの町が破壊され、妻や子が殺されるのであれば、先に行動を起こすのは正当防衛である。

 何もしない気の毒な朝鮮人を「虐殺」するようなヒマは、自警団にはありはしなかった。

 だが、誰からも強制されずに最後の覚悟によって自分たちの町内と家族の命を自分たちで護るという決意を持っていたのが大正時代の人々だった。(P.168-169)

 

自警団は、流言飛語などに惑わされることはなく、現に自分たちの町内に入り込んできた朝鮮人暴徒だけを、正当防衛として殺したのだそうだ。

仮にそうであれば、朝鮮人暴動の存在を隠蔽する報道統制など、何の意味もなかったことになる。なぜなら、新聞にどれほど暴動記事が載っていても自警団は無辜の朝鮮人には危害を加えなかったはずだし、そのような記事が一切なくても現に襲撃してくる暴徒がいれば反撃したはずだからだ。報道統制をしてもしなくても、自警団の行動には何の違いもない。

それとも、新聞から暴動を伝える記事が消え、「朝鮮人を敵視するな」「武器を持つな」という布告が出されると、自警団は突然その「覚悟」を捨てて、「自分たちの町が破壊され、妻や子が殺される」事態になっても官憲に通報する以外は手をこまねいて傍観するようになったとでも言うのだろうか。それこそ、大正時代の日本人に対する侮辱ではないか。

 

第二に、摂政宮の安全のために自警団を引かせるという判断が意味不明すぎる。加藤氏の主張によれば、このときの「暴動」は単なる不満分子の暴発といったものではなく、「朝鮮独立運動家」たちが指揮する組織的暴動だったことになる。しかも、「内戦状態」を引き起こしうるほどの大勢力である。彼らが暴動を起こす目的は何かと言えば、朝鮮独立の実現に向けて日本の国家体制に打撃を与えることだろう。大震災による混乱で宮城の警備が手薄になっているなら、まさにチャンスである。実際、加藤氏の引用する新聞記事が事実なら、宮城の目の前にある二重橋広場に朝鮮人の一団が切り込んだりしているのだ。このような状況下で自警団による暴徒への抵抗がなくなれば、摂政宮の身がより危険になることはあっても安全になることはない。

 

第三に、いくら「新聞などの操作をもって自警団を引かせ」たところで、「不逞鮮人」に対する融和策にはなりはしない。加藤氏の主張するように、「朝鮮独立運動家」の指揮する武装集団による組織的テロが行われていたのなら、いずれにせよ武力で制圧するしか終息させる手段はない。その際、彼らを「力で押し潰」す主体が自警団であろうが軍隊であろうが、やられる側の恨みに違いはないはずである。

 

第四に、自警団が外部からの情報に惑わされることなく現場での正当防衛に徹していたという主張と、「新聞などの操作をもって自警団を引かせ」たという主張は相互に矛盾していて両立し得ない。……と、書いていてさすがに馬鹿馬鹿しくなってきたが、要するに加藤氏の主張は内部矛盾だらけなのである。

 

真っ当な研究者やライターによる論考では、最初は漠然としていた事件の全体像が、文献資料や証言を積み重ね、それらが相互に矛盾しないよう説明の論理を組み立てていくことによって、次第に明確になっていく。ところが、加藤氏のこの本をいくら読んでも、「朝鮮独立運動家」たちが引き起こしたというこの「暴動」がどこでどのように始まり、どのような経過を辿っていつ終息したのかという基本でさえ少しも明確にならない。

どうしてそうなるのかと言えば、この本はそもそも事実の解明を目的としたものではなく、主張したい結論が先にあって、あとはその場その場でその結論に向けて都合のいい情報を切り貼りしているだけだからだ。これは、あらゆる歴史修正(改竄)主義の著作に共通する特徴でもある。

 

最後に、種明かしをしておこう。

加藤氏は「腹を決めていた」「と考えたに違いない」「決意と策謀をめぐらせて親任式に臨んでいた」「その恐れを後藤は感知していた」などと自信満々に書いているが、これらの描写のいずれにも史料的根拠がない(どころか多くの文献資料と矛盾する)こと、その上、後藤の認識に関する唯一の証言と言える池田恒雄氏の発言は、池田氏の娘(工藤美代子氏)とその夫である加藤氏が池田氏から聞いたと言っているだけで、こちらも裏付けはまったくないことが、こちらのサイトで暴露されているので、ぜひご一読いただきたい。[1]

 

実は、池田恒雄氏は工藤美代子氏の実父、つまり、加藤康男氏の義父である。まさか、と疑う人は、「池田恒雄 工藤美代子」でネット検索してみてほしい。

つまり、「隠蔽説」を証明するに当たって示されているたった一つの証拠が「お父さんから聞いた(と称する)話」なのだ。しかも、そのお父さんは震災当時の要人でもないし、目撃者ですらない。後藤の話はいわゆる「また聞き」だ。そして、それをお父さんから聞いた(と主張している)のは娘と義理の息子だけ。お父さん本人は本が出る何年も前に亡くなっている。そのうえ工藤夫妻は、池田氏が自分たちの父であるという事実さえ、『なかった』の中では伏せているのだ(つまり「隠蔽」している!)。ものすごく、ものすごく控え目に言って、こんな話を「証拠」として真に受けるのは、よほどのお人好しだけじゃないだろうか。

 

立派な「覚悟」を持った自警団とか、大物政治家の大胆な「決意」といった心地良い「お話」が適当に混ぜてあると、矛盾だらけの内容でも簡単に信じ込む。この本の想定する読者のレベルは相当に低いらしい。

 

[1] 工藤美代子/加藤康男「虐殺否定本」を検証する -- トリックその2

 

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