読む・考える・書く

マスコミやネットにあふれる偏向情報に流されないためのオルタナティブな情報を届けます。

ネトウヨと極右新聞が捏造する現代の軍国美談

■ 大半がフェイクニュースだった「軍国美談」

大日本帝国が周辺諸国への侵略を繰り返していたあの忌まわしい時代には、犠牲を強いられる臣民(特に近い将来「忠良なる皇軍兵士」となるべき少年たち)を戦場に駆り立てる手段として数多くの「軍国美談」が作られ、新聞や教科書、児童文学などを通じて盛んに宣伝された。

しかし、その大半が事実を巧妙に改変したものであるか、あるいはまったくの創作だった[1]。


美談「水兵の母」が収録された戦前の小学校5年用国語教科書。(略)=資料写真//ハンギョレ新聞社

(略)

■ ねつ造された「水兵の母」

 国民を戦争に動員するために日本政府が最も心血を注いだのは「戦争美談」だった。 当時の小学校5年用国語教科書に収録された美談「水兵の母」を見よう。

 明治27~28年、戦争(日清戦争)が終わらんとしている時であった。ある日、軍艦高千穂の一水兵が手紙を読みながら泣いていた。通りかかったある大尉がこれを見て、余りにめめしいふるまひと思って、「こら、どうした。命が惜しくなったか。妻子がこひしくなったか。軍人となって、軍に出たのを男子の面目と思はず、そのありさまは何事だ」と鋭く叱った。水兵は驚いて立ちあがり、しばらく大尉の顔を見つめていたが、「それは余りなおことばです。私には、妻も子もありません。私も、日本男子です。何で命を惜しみませう。どうぞ、これをごらんください。」といって、その手紙をさし出した。

 兵士の母親が送った手紙であった。「聞けば、そなたは豊島沖の海戦(忠清南道牙山近海で起きた日清戦争の緒戦)にも出でず、八月十日の威海衛攻撃(日清戦争で日本軍の勝利が事実上決定された戦闘)とやらにも、かくべつの働きなかりし由、母はいかにも残念に思ひ候。何のために軍(いくさ)には出で候ぞ。一命を捨てて、君の御恩に報ゆるためには候はずや。村の方々は、朝に夕に、いろいろとやさしくお世話なしくだされ、一人の子が、御国のため軍に出でしことなれば、定めし不自由なることもあらん。何にてもえんりょなくいへと、しんせつに仰せくだされ候。母は、その方々の顔を見るごとに、そなたのふがひなきことが思ひ出されて、この胸は張りさくばかりにて候」

 中内敏夫・一橋大学名誉教授は著書『軍国美談と教科書』(1988年)でこのエピソードに関して、「名も無き母子家庭の老母とその息子、このような家庭の母親が一人息子を国家のために喜んで差し出して、天皇の戦争に身を捧げるよう願っているという文は、軍の指揮部が見れば国民教育の絶好の素材になっただろう」と指摘した。しかしこの母子の現実は日本軍部が願った模範的モデルとは相当な乖離があった。 水兵の実際のモデルは、現実には病弱で豊島沖海戦が起きる前に船から下りるよう命令を受けたことがあり、エピソードが出た後にほどなくして人々の目を避けて鹿児島県の故郷へ帰り3年後に病死したためだ。

この「水兵の母」が載っている国民学校用国定教科書「初等科国語六」(5年後期向け、1943年)には、続いて「姿なき入城」という、戦死した我が子の忠義を讃えて母親が書いたという体裁の詩が載っているのだが、この教科書の教師向け指導書には、この教材の教え方としてこんなことが書かれている[2]。


本教材は、かつて世に伝えられた実話を基礎として、その感動を一遍の詩に表現したものである。しかし、かくの如く伝えられる実話は、その間に種々の理想化も行われており、いわば大東亜戦争を背景として生み出された国民的感激の一結晶であるのであって、従ってその説話の主人公を穿鑿云為するのは、少なくとも教育の目的とするところではないのである。この点前課「水兵の母」と同様であり、指導上この留意を忘れてはならない。

この解説から、そもそも「姿なき入城」は死んだ兵士の母が書いた詩などではないこと、その内容もベースとなった実話に様々な「理想化」つまり改変を加えたものであることが分かる。また、事実そのままでない点では「水兵の母」も同じだと正直に書かれている。軍国美談を教える側にとっては、その物語が児童心理に与える効果こそが重要なのであって、話の内容の正確さなど実はどうでもよかったのだ。

最も有名な軍国美談と言える「肉弾三勇士」の話も、同様に事実からはかけ離れた内容だったことが知られている[1]。

(略)日本の兵庫県のある神社に残っている肉弾三勇士関連絵画=資料写真//ハンギョレ新聞社


 当時の軍国美談の中では現実を巧妙に歪曲したりねつ造したという疑いが濃厚なものが多い。 最も代表的なものは第1次上海事変が進行中だった1932年2月22日、上海郊外の鉄条網陣地を破壊するために爆薬筒を持って肉弾攻撃を敢行した江下武二、北川丞、作江伊之助の3人の工兵を指す「肉弾3勇士」の美談だ。当時、日本のマスコミは作戦遂行のために命を捧げた三勇士を称賛する記事を書き立てたが、兵士たちが亡くなったのは死を覚悟した勇猛な作戦の結果ではなく、導火線の長さを誤って計算した“ミス”だったことを暗示する関係者の証言が出てきた

 このような“神話ねつ造”は戦争を遂行した日本大本営の得意技だった。 大本営は特殊潜水艇に乗って1941年12月8日米国の真珠湾を攻撃した海軍の「九軍神」、日本軍として最初に守備隊全員が降参せずに決死抗戦し全員が死亡した「アッツ島玉砕」などを大々的に宣伝して戦争美化の道具として使った。 しかし九軍神の潜水艇は何ら軍事的成果を上げられなかった失敗した作戦であり、アッツ島の兵士は全員玉砕したのではなく一部は生き残り米軍の捕虜になったという事実が以後の研究と実態調査を通じて明らかになっている。(略)

■ 新たな創作軍国美談としての「噴火から民間人を守った自衛隊」と「日本人を助けて轢かれた米兵」

敗戦後は当然このような軍国美談が作られることはなくなっていたのだが、最近になって、またこの手の怪しげな「美談」が創作され始めている。たとえば1月23日に草津白根山が突然噴火した際、現場に居合わせた自衛隊員8名が自身の身を盾にして民間人を守り、噴石に当たった1人が死亡したという話や、沖縄で事故を起こした車から日本人を救出した米兵が後続車にはねれらて重傷を負ったという話がそれだ。

草津白根の話については、BuzzFeed Newsが詳細をまとめている[3]。それによると、噴火発生から約4時間後、匿名掲示板「5ちゃんねる」(旧2ちゃんねる)に民間人親子による現地からの報告と称して書き込まれたのが騒動の始まりらしい。この書き込みでは、

  • 噴火時、近くにいた自衛隊が自分たちと噴石の間に円陣を組んで立ちはだかってくれた
  • 自衛隊の1名に石が当たったが、倒れたあとまた立ち上がって守ってくれた
  • 避難を終えてその自衛官と思われる「若いお兄さん」がタンカでヘリに乗せられているところを見た

とされている。(自衛隊員の人数については記載がない。)

しかし、BuzzFeed Newsの取材への陸上幕僚監部広報室の回答によれば、噴火直後、隊員たちは噴石を避けて林の中に逃げ込んでおり、民間人の救助活動をしたという報告はなく、「円陣を8人で組み、民間人を囲んで噴石から守ったということは、可能性として極めて低い」とされている。

また、噴石に当たって死亡した隊員は49歳で、「若いお兄さん」とは言えないし、それ以前の問題として、噴石は上から降ってくるので円陣を組んで立ちはだかっても意味がない。

さらに、本当に現場に居合わせた民間人男性の証言によれば、逆にこの男性のほうが負傷した自衛隊員の救助を手伝っている[4]。

 川崎市の男性(60)は、ロープウェーの山頂駅近くからスノーボードで滑り降りようとしていた。まさにその時、「ボコボコ」という「変な音」に気が付いたという。
 直後、真っ黒い噴煙が立ち上り、噴石も数多く降ってきた。1個が20~30センチほどのものもあった。辺りがあっという間に真っ暗になり、息苦しくなった。
 近くに雪のくぼみを見つけ、しばらく身を潜めた。「2、3分くらいだと思うけど倍ほどに感じた。死ぬかと思った」。噴石が左腕や背中に当たった。着ていた上着が破れるほどだった。訓練中の自衛隊員が近くにいたが、両足の骨が折れたり、頭を打ったりした隊員がいた。無事だった右腕を使って隊員の救助を手伝った。
 使えなくなったスノーボードを片足につけたまま、自力で歩いて下山を始めた。過去に何度も来ているなじみのコースだったが、下山後、病院に運ばれて「生きてて良かった」としみじみ思った。

以上の情報から見て、上記の書き込みは明らかにフェイクである。しかしその後、この書き込みがTwitterで引用されたものにマスコミ報道で伝えられた被災自衛隊員の人数や訃報などの情報が追加され、ネット上で大量に拡散されていった。

特に、2万数千回もリツイートされている下記の中津川博郷元衆院議員(維新の会)のツイートなど、わざわざテレビ朝日「報道ステーション」への名指しの非難を追加しており、このデマを何の目的で拡散しているのか自分で暴露している。こんな人物が「正しい歴史を伝える会顧問」だというのだから、笑うに笑えない。


「日本人を救助した米兵」の話は、昨年12月1日に沖縄自動車道で発生した、車両6台がからむ事故に関するものだ。

この事故で在沖米海兵隊曹長の男性1名が意識不明の重体となった。事故発生後、沖縄タイムスと琉球新報の地元2紙は淡々と事実を報道したのだが、これに突然産経新聞が噛み付いた。この米兵は事故車から日本人運転手を救出するという勇気ある行動の結果後続車に轢かれたのであり、沖縄2紙はその事実を隠蔽しているというのだ。Web上で6ページに渡る長文記事である。

産経ニュース(12/9)

【沖縄2紙が報じないニュース】
危険顧みず日本人救出し意識不明の米海兵隊員 元米軍属判決の陰で勇敢な行動スルー

 12月1日早朝、沖縄県沖縄市内で車6台による多重事故が発生した。死者は出なかったが、クラッシュした車から日本人を救助した在沖縄の米海兵隊曹長が不運にも後続車にはねられ、意識不明の重体となった。「誰も置き去りにしない」。そんな米海兵隊の規範を、危険を顧みずに貫いた隊員の勇敢な行動。県内外の心ある人々から称賛や早期回復を願う声がわき上がっている。ところが「米軍=悪」なる思想に凝り固まる沖縄メディアは冷淡を決め込み、その真実に触れようとはしないようだ。
 沖縄県を席巻する地元2紙のうちの「沖縄タイムス」は2日付社会面で、くだんの事故をこう伝えた。記事はベタ扱いである。(略)かたや「琉球新報」もこの事故を2日付社会面の準トップ扱いで報じた。内容はほとんど変わりない。
 しかしトルヒーヨさんはなぜ、路上で後続車にはねられるという二次事故に見舞われたのか。地元2紙の記事のどこにも書かれていない。
 実はトルヒーヨさんは、自身の車から飛び出し「横転車両の50代男性運転手」を車から脱出させた後、後方から走ってきた「米軍キャンプ・ハンセン所属の男性二等軍曹」の車にはねられたのだ。50代男性運転手は日本人である。
 沖縄自動車道といえば、時速100キロ前後の猛スピードで車が走る高速道路だ。路上に降り立つことが、どれだけ危険だったか。トルヒーヨさんは、自身を犠牲にしてまで日本人の命を救った。男性運転手が幸いにも軽傷で済んだのも、トルヒーヨさんの勇気ある行動があったからだ。
(略)
 常日頃から米軍がらみの事件・事故が発生すると、「けしからん!」「米軍は出て行け!」と言わんばかりにことさら騒ぎ立て、米軍の善行には知らぬ存ぜぬを決め込むのが、琉球新報、沖縄タイムスの2紙を筆頭とする沖縄メディアの習性である。
 かくして今回のトルヒーヨさんの美談も、シンザト被告の無期懲役判決報道にかき消され、完全に素通りされてしまった。わけても「差別」に敏感な2紙は昨今、「沖縄差別」なる造語を多用しているが、それこそ「米軍差別」ではないか。
(略)
 「反米軍」一色に染まる沖縄メディアも右にならえだ。翁長県政ともども、日本とその周辺地域の安全と安定のために日夜命がけで任務にあたる米軍への「敬意」を持ち得ないスタンスは、トルヒーヨさんへの無慈悲な対応でも浮かび上がる。
 遅ればせながらここで初めて伝えている記者自身も決して大きなことは言えないが、トルヒーヨさんの勇気ある行動は沖縄で報道に携わる人間なら決して看過できない事実である。
 「報道しない自由」を盾にこれからも無視を続けるようなら、メディア、報道機関を名乗る資格はない。日本人として恥だ。とまれ、トルヒーヨさんの一日も早い生還を祈りたい。(那覇支局長 高木桂一)

ところが、「報道機関を名乗る資格はない」とまで罵倒された琉球新報が調査してみると、真相はまったく違っていたことが判明した。

琉球新報(2018/1/30)

産経報道「米兵が救助」米軍が否定 昨年12月沖縄自動車道多重事故

 昨年12月1日に沖縄自動車道を走行中の米海兵隊曹長の男性が、意識不明の重体となった人身事故で、産経新聞が「曹長は日本人運転手を救出した後に事故に遭った」という内容の記事を掲載し、救出を報じない沖縄メディアを「報道機関を名乗る資格はない」などと批判した。しかし、米海兵隊は29日までに「(曹長は)救助行為はしていない」と本紙取材に回答し、県警も「救助の事実は確認されていない」としている。産経記事の内容は米軍から否定された格好だ。県警交通機動隊によると、産経新聞は事故後一度も同隊に取材していないという。産経新聞は事実確認が不十分なまま、誤った情報に基づいて沖縄メディアを批判した可能性が高い。産経新聞の高木桂一那覇支局長は「当時のしかるべき取材で得た情報に基づいて書いた」と答えた。
(略)
 しかし海兵隊は現場で目撃した隊員の証言などから1月中旬、「(曹長は)他の車両の運転手の安否を確認したが、救助行為はしていない」と回答。県警交通機動隊によると、事故で最初に横転した車の運転手は当初「2人の日本人に救助された」と話していたという。
 海兵隊によると、曹長は意識を回復しリハビリに励んでいるという。産経ニュースはその後、曹長の回復や事実誤認については報じていない。
(略)

◆海兵隊、投稿を訂正/「誤った情報の結果」

 事故は昨年12月1日午前4時50分ごろ、沖縄市知花の沖縄自動車道北向け車線で発生した。最初に左側の車線で追突事故が発生し軽自動車が横転した。追突現場の後方で停車した別の車に曹長の運転する車が接触し、さらに後ろから米軍の貨物車が衝突した。その後、後方から追い越し車線を走ってきた米海兵隊員の運転する乗用車に、路上にいた曹長がはねられた。
 米海兵隊第3海兵兵站(たん)群の英語ホームページ記事によると、曹長は接触事故後に現場にいた別の隊員に近づき無事を確認した後「自分の車を動かすよ」と言って離れた直後にはねられたという。
 在日米海兵隊のツイッターでは12月、曹長へ回復を祈るメッセージを送る県民の運動について発信する際に「多重事故で横転した車から県民を救出した直後に車にひかれ」と、救助したと断定した書き方をしていた。その後、このツイートは「多重事故で車にひかれ意識不明の重体になった」と訂正された。
 海兵隊は取材に対し「事故に関わった人から誤った情報が寄せられた結果(誤りが)起こった」と説明している。
(略)
 曹長の回復を願う家族の思いや県民の活動は尊いものだ。しかし、報道機関が報道する際は、当然ながら事実確認が求められる。最初に米軍側が説明を誤った可能性を差し引いても、少なくとも県警に取材せずに書ける内容ではなかったと考える。
 産経新聞は、自らの胸に手を当てて「報道機関を名乗る資格があるか」を問うてほしい。(本紙社会部・沖田 有吾)

琉球新報(2018/2/3)

「米軍関係者に救助された記憶はない」 当事者も産経報道を否定

 昨年12月1日に沖縄市の沖縄自動車道で発生し、米海兵隊曹長の男性が一時意識不明の重体に陥った事故について、曹長に救助されたとされていた横転車両の運転手の男性が2日、代理人を通じ「米軍関係者に救助された記憶はない」などと当時の状況を説明した
(略)
 しかし2日に代理人の弁護士を通じて発表された書面では、男性の車は追突され運転手側が下になる形で横転した。直後に追突車両の日本人運転手が助手席側のドアを開けたので、男性は自力ではい上がって外に出て路肩に避難した。警察と救急車を電話で呼んだ後に、駆け付けた米軍関係者から「大丈夫か」と声を掛けられたが、この米軍関係者が曹長かどうかは分からないという。弁護士によると男性は曹長の安否を気遣い「一日も早い回復を祈っている」としている。
(略)

さらに、ニュースサイトHUNTERの取材によれば、問題の記事を書いた産経の那覇支局長は、間違いを指摘されたにもかかわらず、「警察には確認していない」「海兵隊に事実確認をするつもりはない」と開き直っている[5]。現場検証を行った警察にすら取材せずにこんな記事を書き飛ばすとは、報道機関を名乗る資格がないのは産経のほうだろう。

■「恥」はどちらか

 「顔を知らないから取材には応じない」には呆れるしかない。それなら「顔を知らない読者からの問い合わせ」にはどう対応するのか?この問いに対し慌てたところで、産経は報道失格だろう。支局長が一方的に宣言した「オフレコ」については意味不明だ。
 結論は「警察には確認していない」。海兵隊への事実確認については、琉球新報に間違いを指摘された形になっているにもかかわらず「これを受けて海兵隊に確認しようとは考えていませんけど」――。事実のみを追い続けるのが報道であるなら、産経はこれを否定したことになる。同紙は、ネトウヨあたりが流した不確かな「救助」情報を前提に、見込みに合わせた取材で沖縄メディアを批判したのではないか。虚報の疑いが生じた以上、産経は自ら検証し直し、間違いと分かった段階で沖縄メディアに謝罪すべきだろう。日本人なら「恥」を知るべきだ。


草津白根の自衛隊美談も、沖縄の米兵美談も、「感動的な物語」による意識誘導さえできればそれが事実かどうかなどどうでもいい、という作り手の意識の低劣さにおいて、かつての軍国美談と同質のものである。違いは、戦前戦中の軍国美談は旧帝国軍部が作り流布させていたが、今はネトウヨ政治家や極右プロパガンダメディアがその役割を果たしていることくらいだ。

また、この手の安っぽい「美談」が容易に通用してしまうのは、それだけこの社会の空気が戦前のそれに近づいてきているということでもある。厳に警戒しなければならない。

[1] 『日本の歴史教科書から軍国美談はいかに消えたか(2)』 Hankyoreh Japan 2015/10/24
[2] 『初等科国語六 教師用』 文部省 1943年 P.33
[3] 籏智広太 『草津白根山噴火「自衛隊員8人が円陣になって民間人を守り、死亡した」は本当か』 BuzzFeed News 2018/1/25
[4] 『ドーンと爆発音「噴火だ!」噴石が天井破る 地元男性』 朝日新聞デジタル 2018/1/23
[5] 『産経新聞 沖縄メディア攻撃で虚報の可能性 那覇支局長との一問一答』 ニュースサイトHUNTER 2018/1/31

【関連記事】

 

軍国美談と教科書 (岩波新書)

軍国美談と教科書 (岩波新書)