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日本国憲法:誰が誰に「押し付けた」のか

実は戦争放棄の発案者が誰なのかは、あまり重要ではない

憲法9条の発案者はマッカーサーではなく幣原喜重郎であると主張する記事を二つも(記事1記事2)書いておいて申し訳ないが、実は私は、戦争放棄を最初に言い出したのは誰なのか、といった問題は、あまり重要ではないと考えている。

改憲派は、日本国憲法はGHQによって「押し付けられた」ものだからそれだけで悪であり、何としてもこれを「自主憲法」に変えなければならない、と主張する。そんな彼らにとって、憲法の平和主義の核心に位置する9条が日本側から提案されていたのでは都合が悪いのだろう。しかし、当時の日本人は、GHQの「押し付け」であることなど百も承知で新憲法を支持したのだ。

そもそも当時の日本は米軍による占領下にあり、GHQの同意なしに政府が何事も成し得ないことは誰の目にも明らかだった。そして、毎日新聞のスクープ(1946年2月1日)によって明治憲法とほとんど変わらない政府案(憲法問題調査委員会試案)がすっぱ抜かれ、次いでそのわずか一ヶ月後の3月6日にはそれとは全く異なる「憲法改正草案要綱」が発表されたのだから、そこにGHQの強い意向が反映していることは当初から明白だった。また、マッカーサー自身、GHQがこの要綱の作成に関与したことを隠していない。

「憲法改正草案要綱」発表時のマッカーサー声明[1]:

余は今日、余が全面的に承認した新しき且つ啓蒙的なる憲法を日本国民に提示せんとする天皇並びに日本政府の決定について声明し得る事に深き満足を表するものである。この憲法は五ヶ月前に余が内閣に対して発した最初の指令以来、日本政府と連合軍最高司令部の関係者の間における労苦にみちた調査と数回に亙る会合の後に起草されたものである(略)

その後、この要綱が補足されて「憲法改正草案」(4月17日全文発表)となり、総選挙(4月10日)で選ばれた新たな国会での約半年間の審議修正を経て完成し、11月3日に公布された(翌1947年5月3日施行)、というのが日本国憲法制定のおおよその経緯である。

当たり前だが、2月1日に報道された最初の政府案は、極めて評判が悪かった。スクープした毎日新聞自身、「あまりに保守的、現状維持的のものにすぎないことを失望しない者は少いと思ふ」と評したほどだ[2]。

一方、GHQの影響下にその骨格が作られたことが明白な新憲法が公布されると、日本人はこれを熱烈に歓迎した。皇居前で行われた祝賀大会には10万人の市民が詰めかけたという。 (↓画像は「つねきた和平の連帯ブログ」さんより)

憲法公布祝賀大会 

憲法公布祝賀大会 

同じような祝賀会は全国各地でも開かれた。下は現横浜線中山駅前で行われた祝賀会に集まった人々の写真だが、文字通り立錐の余地もない盛況ぶりに加え、人々の表情の何とも言えない明るさに強い印象を受ける。

憲法公布祝賀大会

なぜ当時の一般庶民は新憲法を熱烈に支持したのか。国民主権、基本的人権の尊重、平和主義という新憲法の基本原則が、新生日本の守るべき指針として正しいものと信じたからだ。なぜ正しいと信じたか。それらすべてを否定していた明治憲法に基づく強権的旧体制によって破滅的な戦争に引きずり込まれ、愛する家族も財産も奪われ、焦土の上に投げ出されたからだ。

憲法公布後、GHQの意向で「憲法普及会」が作られ、東京新聞との共催で新憲法の「記念歌詞募集」を行った。このとき入選した次の都々逸が、当時の庶民感情をよく表している[3]。

 犬死いぬじにでなかった 証拠にや 新憲法の どこかにあの子の 血がかよう

何もかも失い、飢えて疲弊していた庶民にとって、新憲法は一筋の希望の光であり、二度とこのような事態になることを防ぐその内容こそが重要だった。それが「押し付け」だったかどうか、ましてその内容を最初に発案したのが誰だったかなど、どうでも良かったのである。

誰が誰に、何を「押し付けた」のか

敗戦によって明治憲法体制の破綻が明らかになると、明日の食料にも窮する中で、多くの市民が新たな国の形(=憲法)の模索を始めた。特に有名なのは、高野岩三郎(社会統計学者)、鈴木安蔵(憲法学者)、杉森孝次郎(政治学者)、室伏高信(評論家)らの「憲法研究会」だろう。憲法研究会は敗戦後3ヶ月にも満たない1945年11月5日から活動を開始し、12月26日には独自の憲法草案を政府とGHQに提出した。また、記者団向けにも発表を行い、12月28日の新聞各紙に草案全文が掲載されている。

GHQはこの憲法研究会案に注目し、ただちに分析を開始した。そして、翌1月11日には詳細な「所見」を作成し、「この憲法草案中に盛られている諸条項は、民主主義的で、賛成できるものである」と高く評価している[4]。実際、憲法研究会案は、国民主権(「統治権は日本国民より発す」)、天皇の象徴化(国家儀礼への役割限定)、出自・身分による一切の差別の禁止、爵位栄典の廃止、言論・学問・芸術(=表現)・宗教(=信教)の一切制約のない自由、拷問の禁止、「健康にして文化的水準の生活」を営む権利、男女の完全な平等など、現憲法と共通する多くの先進的条項を含んでいる。

他にも、憲法研究会に参加しながらその草案の内容に満足できなかった高野岩三郎は、「天皇制を廃し、大統領を元首とする共和制を採用する」とした独自の「私案要綱」を雑誌『新生』1946年2月号誌上で発表している[5]。また、稲田正次(憲法学者)を中心とする「憲法懇談会」の草案では、最終的には削除されてしまったが、海野晋吉(弁護士)が「日本国は軍備を持たざる文化国家とす」という、戦争放棄条項を提案している[6]。

GHQが民間の憲法草案の内容を積極的に取り入れていった一方、政府の「憲法問題調査委員会」は民間案など一顧だにしなかった。少なくとも憲法研究会案と憲法懇談会案は1945年12月末には政府に提出されていたにもかかわらず、これらの内容を検討した形跡は一切ない[7]。

改憲派は「GHQ(アメリカ)」が「日本」に憲法を押し付けたと言うが、このような粗雑な括りに基づく主張に騙されてはいけない。日本国憲法が「押し付け」であると言うなら、それは明治憲法体制下で弾圧・抑圧され、戦争による苦衷を舐めさせられてきた日本の民主主義的市民が、GHQという力を使って、無反省・無責任なこの国の旧支配層に「押し付けた」ものなのだ。これを「自主憲法」と称する支配の道具に再び入れ替えるのを許してはならない。
 
[1] 古関彰一 『新憲法の誕生』 中公文庫 1995年 P.204
[2] 同 P.98
[3] 『【憲法を歩く 施行60年】 第1部 焦土から生まれた希望<上>』 東京新聞 2007年5月3日
[4] 古関 P.110
[5] 同 P.63
[6] 同 P.78
[7] 同 P.99-100

 

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