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憲法9条(戦争放棄)は幣原喜重郎の発案という結論でほぼ決まりだろう

報道ステーションが広げた波紋

テレビ朝日「報道ステーション」が2回にわたって取り上げたことで、憲法9条の発案者は当時の首相幣原喜重郎であるという説が注目を集めている。

「報道ステーション」はまず今年2月26日の放送で、1957年に岸信介首相(当時)が作った憲法調査会の録音データ(ジャーナリスト鈴木昭典氏が発見したもの)の中に、幣原発案説を裏付ける証言があることを報じた。

 改憲派の狙いは、戦争放棄を定めた憲法9条だった。日本は戦力は持たないとしたものの、朝鮮戦争を機に、アメリカの要望に応える形で警察予備隊を創設。そして1954年、自衛隊が誕生した。時は米ソ冷戦の真っ只中。改憲派は、「非武装中立」では現実に対処できないと主張したのだった。

(略)

 この9条の議論でも、押し付け論が問題となった。戦争放棄の条文は誰の提案で生まれたのか。GHQのマッカーサー最高司令官だったのか、それとも当時の幣原総理だったのか。今回発見した音声データには、憲法調査会が開いた公聴会での、ある証言が残されていた。憲法制定当時、中部日本新聞の政治部長だった小山武夫氏によるものだ。

小山武夫:「第9条が誰によって発案されたのかという問題が、当時から政界の問題となっておりました。そこで、幣原さんにオフレコでお話しを伺ったわけであります。その第9条の発案者という風な限定した質問に対しまして、幣原さんは、「それは私であります。私がマッカーサー元帥に申上げ、第9条という条文になったんだ」ということをはっきり申しておりました

 調査会は、GHQの最高司令官を務めたマッカーサー本人からも、書簡で直接証言を得ていた。

マッカーサー:「戦争を禁止する条項を憲法に入れるようにという提案は、幣原総理が行なったのです。私は総理の提案に驚きましたが、私も心から賛成であると言うと、総理は明らかに安堵の表情を示され私を感動させました。」

さらに5月3日の放送では、幣原の盟友・大平駒槌が幣原から直接聞いた話を記録したノートを紹介している。

 終戦からまだ二ヶ月も経たない頃(1945年10月9日)、幣原は73歳にして総理に就任します。新しい憲法の草案は、彼の時代にまとまります。

幣原:「常に国民の声を聴いて、社会における正義を重んじ、民主主義政治確立のため、最善の努力を尽くす覚悟であります」

 1946年1月24日のこと、幣原はGHQ本部のマッカーサーの元を訪ねます。外交官出身で英語が堪能だった幣原は、この日、三時間にわたってマッカーサーと二人きりで会談したのです。

 我々は、当時の会談内容を詳細に書き記した一冊のノートを見つけました。幣原と寝食を共にしていた盟友・大平駒槌が幣原から直接聞いた話を、その娘に書き取らせたものです。ノートによると、この日は珍しく幣原から話を切り出したといいます。

幣原・マッカーサー会談の記録

幣原:「自分は、生きている間に、どうしても天皇制を維持させたいと思いますが、協力してくれますか」

マッカーサー:「占領するにあたり、一発の銃声もなく、一滴の血も流さず進駐できたのは天皇の力によることが大きいと深く感じているので、私は天皇制を維持させることに協力し、努力したいと考えています」

 天皇の戦争責任を問う声が出ているなか、幣原の話を熱心に聞くマッカーサーの姿を見て、幣原はこう続けます。

幣原:「戦争を世界中がしなくなるようになるには、戦争を放棄するということ以外にないと考えます」

マッカーサー:「そのとおりです」

幣原「戦争を放棄する」

幣原:「世界から信用をなくしてしまった日本にとって、戦争を放棄するというようなことを、はっきりと世界に声明すること。それだけが日本を信用してもらえる唯一の誇りとなることではないでしょうか

 幣原から戦争放棄の提案を聞いたマッカーサーは、急に立ち上がって両手を握り、涙を目にいっぱいためていた、と書かれています。

(略)

 幣原・マッカーサー会談から十日後、マッカーサーは部下に、GHQの憲法草案を作るよう指示します。そこに、「戦争放棄」の言葉がありました。そしてその十日後、日本政府に示したGHQ草案には、「象徴天皇」と「戦争放棄」が条文化され、それが日本国憲法のもととなりました。

当事者である幣原とマッカーサー双方の証言が一致しており、日時の前後関係にも矛盾はない。普通に考えれば、本人たちの言うとおり、戦争放棄は幣原が発案したという結論になるだろう。

否定論には説得力がない

日本国憲法はGHQから押し付けられたものだから改憲すべきだ、と言いたい改憲派にとっては、肝心の憲法9条の発案者が日本人、それも当時の首相だった幣原では都合が悪いのだろう。たとえば小林よしのりはこんなふうに主張している

昨日の「報道ステーション」で、憲法9条の発案者は幣原喜重郎だと報じていた。

マッカーサーの回顧録にも、幣原の回顧録にも「幣原発案」とあるので、それで決まりだと思っているのかもしれないが、歴史事実の「史料批判」というものは、実はそんなに単純ではない。

 

憲法9条の発案者は、マッカーサー説、幣原喜重郎説から、昭和天皇説まである。

 

当時アメリカでは「天皇の戦争責任追及すべし」という意見も多かったので、マッカーサーは「天皇を守らなければ占領統治が瓦解する、100万の軍隊を追加してもらわなければならない」という電報を本国に送った。

そこで取り引きされたのが、第一章・天皇条項と、第9条の戦争放棄条項をセットにして、日本の再軍備を封じ込むという案で、「発案者は日本人、幣原喜重郎だ」ということにしてくれと、マッカーサーが幣原に飲み込ませたのだろう。

 

占領統治というものは間接統治でなければ、うまくいかない。

日本人自身が「憲法9条を発案したんだ」と思い込むということ自体が占領政策の要諦なのだ。

史料批判というものが、「誰それがこう言ったと史料に書いてあるからそうなのだ」、というほど単純なものでないのは、小林の言うとおりである。だがその小林が主張する、天皇条項と戦争放棄をセットにしてマッカーサーが幣原に飲ませた、という説は、そもそも史料的裏付けのない憶測に過ぎない。

幣原発案説についての史料批判として必要なのは、憶測や根拠不明瞭な異説を並べ立てることなどではなく、幣原がそのようなことを言い出す必然性があるかどうか、幣原自身の体験や思想との整合性を検証することである。

この点では、報道ステーションでも一部紹介されていた平野三郎文書[1]が重要な意味を持っている。これは、幣原の側近だった平野三郎元衆院議員が幣原から聞き取りをした内容を憲法調査会に報告したものである。

昭和三十九(1964)年二月

幣原先生から聴取した
戦争放棄条項等の生まれた事情について

―平野三郎氏記―

                    憲法調査会事務局


はしがき

 この資料は、元衆議院議員平野三郎氏が、故幣原喜重郎氏から聴取した、戦争放棄条項等の生まれた事情を記したものを、当調査会事務局において印刷に付したものである。

 なお、この資料は、第一部・第二部に分かれているが、第一部・第二部それぞれの性格については、平野氏の付されたまえがきを参照されたい。

                    昭和三十九年二月 憲法調査会事務局


第一部

 私が幣原先生から憲法についてお話を伺ったのは、昭和二十六(1951)年二月下旬である。同年三月十日、先生が急逝される旬日ほど前のことであった。場所は世田谷区岡本町の幣原邸であり、時間は二時間ぐらいであった。

 側近にあった私は、常に謦咳けいがいにふれる機会はあったが、まとまったお話を承ったのは当日だけであり、当日は、私が戦争放棄条項や天皇の地位について日頃疑問に思っていた点を中心にお尋ねし、これについて幣原先生にお答え願ったのである。

 その内容については、その後間もなくメモを作成したのであるが、以下は、そのメモのうち、これらの条項の生まれた事情に関する部分を整理したものである。

 なお、当日の幣原先生のお話の内拘ないこうについては、このメモにもあるように、幣原先生から口外しないようにいわれたのであるが、昨今の憲法制定の経緯に関する論議の状況にかんがみてあえて公にすることにしたのである。


問 かねがね先生にお尋ねしたいと思っていましたが、幸い今日はお閑ひまのようですから是非うけたまわり度いと存じます。

 実は憲法のことですが、私には第九条の意味がよく分りません。あれは現在占領下の暫定的な規定ですか、それなら了解できますが、そうすると何いずれ独立の暁には当然憲法の再改正をすることになる訳ですか。

答 いや、そうではない。あれは一時的なものではなく、長い間僕が考えた末の最終的な結論というようなものだ。

問 そうしますと一体どういうことになるのですか。軍隊のない丸裸のところへ敵が攻めてきたら、どうするという訳なのですか。

答 それは死中に活だよ。一口に言えばそういうことになる。

問 死中に活と言いますと………

答 たしかに今までの常識ではこれはおかしいことだ。しかし原子爆弾というものが出来た以上、世界の事情は根本的に変って終しまったと僕は思う。何故ならこの兵器は今後更に幾十倍幾百倍と発達するだろうからだ。恐らく次の戦争は短時間のうちに交戦国の大小都市が悉く灰燼に帰して終うことになるだろう。そうなれば世界は真剣に戦争をやめることを考えなければならない。そして戦争をやめるには武器を持たないことが一番の保証になる。

問 しかし日本だけがやめても仕様がないのではありませんか。

答 そうだ。世界中がやめなければ、ほんとうの平和は実現できない。しかし実際問題として世界中が武器を持たないという真空状態を考えることはできない。

 それについては僕の考えを少し話さなければならないが、僕は世界は結局一つにならなければならないと思う。つまり世界政府だ。世界政府と言っても、凡ての国がその主権を捨てて一つの政府の傘下に集るようなことは空想だろう。だが何らかの形に於ける世界の連合方式というものが絶対に必要になる。何故なら、世界政府とまでは行かなくとも、少くも各国の交戦権を制限し得る集中した武力がなければ世界の平和は保たれないからである。(略)二個以上の武力が存在し、その間に争いが発生する場合、一応は平和的交渉が行われるが、交渉の背後に武力が控えている以上、結局は武力が行使されるか、少なくとも武力が威嚇手段として行使される。したがって勝利を得んがためには、武力を強化しなければならなくなり、かくて二個以上の武力間には無限の軍拡競争が展開され遂に武力衝突を引き起す。すなわち戦争をなくするための基本的条件は武力の統一であって、例えば或る協定の下で軍縮が達成され、その協定を有効ならしむるために必要な国々が進んで且つ誠意をもってそれに参加している状態、この条件の下で各国の軍備が国内治安を保つに必要な警察力の程度にまで縮小され、国際的に管理された武力が存在し、それに反対して結束するかも知れない如何なる武力の組み合せよりも強力である、というような世界である。

(略)

 要するに世界平和を可能にする姿は、何らかの国際的機関がやがて世界同盟とでも言うべきものに発展し、その同盟が国際的に統一された武力を所有して世界警察としての行為を行なう外はない。このことは理論的には昔から分っていたことであるが、今まではやれなかった。しかし原子爆弾というものが出現した以上、いよいよこの理論を現実に移す秋ときがきたと僕は信じた訳だ。

問 それは誠に結構な理想ですが、そのような大問題は大国同志が国際的に話し合って決めることで、日本のような敗戦国がそんな偉そうなことを言ってみたところでどうにもならぬのではないですか。

答 そこだよ、君。負けた国が負けたからそういうことを言うと人は言うだろう。君の言う通り、正にそうだ。しかし負けた日本だからこそ出来ることなのだ。

 恐らく世界にはもう大戦争はあるまい。勿論、戦争の危険は今後むしろ増大すると思われるが、原子爆弾という異常に発達した武器が、戦争そのものを抑制するからである。第二次大戦が人類が全滅を避けて戦うことのできた最後の機会になると僕は思う。如何に各国がその権利の発展を理想として叫び合ったところで、第三次大戦が相互の破滅を意味するならば、いかなる理想主義も人類の生存には優先しないことを各国とも理解するからである。

 したがって各国はそれぞれ世界同盟の中へ溶け込む外はないが、そこで問題はどのような方法と時間を通じて世界がその最後の理想に到達するかということにある。人類は有史以来最大の危機を通過する訳だが、その間どんな事が起るか、それはほとんど予想できない難しい問題だが、唯一つ断言できることは、その成否は一に軍縮にかかっているということだ。若しも有効な軍縮協定ができなければ戦争は必然に起るだろう。既に言った通り、軍拡競争というものは際限のない悪循環を繰り返すからだ。常に相手より少しでも優越した状態に己れを位置しない限り安心できない。この心理は果てしなく拡がって行き何時かは破綻が起る。すなわち協定なき世界は静かな戦争という状態であり、それは嵐の前の静けさでしかなく、その静けさがどれだけ持ちこたえるかは結局時間の問題に過ぎないと言う恐るべき不安状態の連続になるのである。

 そこで軍縮は可能か、どのようにして軍縮をするかということだが、僕は軍縮の困難さを身をもって体験してきた。世の中に軍縮ほど難しいものはない。交渉に当る者に与えられる任務は如何にして相手を偽瞞ぎまんするかにある。国家というものは極端なエゴイストであって、そのエゴイズムが最も狡猾で悪らつな狐狸となることを交渉者に要求する。虚々実々千変万化、軍縮会議に展開される交渉の舞台裏を覗きみるなら、何人なんぴとも戦慄を禁じ得ないだろう。軍縮交渉とは形を変えた戦争である。平和の名をもってする別個の戦争であって、円満な合意に達する可能性などは初めからないものなのだ。原子爆弾が登場した以上、次の戦争が何を意味するか、各国とも分るから、軍縮交渉は行われるだろう。だが交渉の行われている合間にも各国はその兵器の増強に狂奔するだろう。むしろ軍縮交渉は合法的スパイ活動の場面として利用される程である。不信と猜疑がなくならない限り、それは止むを得ないことであって、連鎖反応は連鎖反応を生み、原子爆弾は世界中に拡がり、終りには大変なことになり、遂には身動きもできないような瀬戸際に追いつめられるだろう。

(略)

 要するに軍縮は不可能である。絶望とはこのことであろう。唯もし軍縮を可能にする方法があるとすれば一つだけ道がある。それは世界が一せいに一切の軍備を廃止することである。

 一、二、三の掛声もろとも凡ての国が兵器を海に投ずるならば、忽ち軍縮は完成するだろう。勿論不可能である。それが不可能なら不可能なのだ。

 ここまで考えを進めてきた時に、第九条というものが思い浮んだのである。そうだ。もし誰かが自発的に武器を捨てるとしたら――

 最初それは脳裏をかすめたひらめきのようなものだった。次の瞬間、直ぐ僕は思い直した。自分は何を考えようとしているのだ。相手はピストルを持っている。その前に裸のからだをさらそうと言う。何と言う馬鹿げたことだ。恐ろしいことだ。自分はどうかしたのではないか。若しこんなことを人前で言ったら、幣原は気が狂ったと言われるだろう。正に狂気の沙汰である。

 しかしそのひらめきは僕の頭の中でとまらなかった。どう考えてみても、これは誰かがやらなければならないことである。恐らくあのとき僕を決心させたものは僕の一生のさまざまな体験ではなかったかと思う。何のために戦争に反対し、何のために命を賭けて平和を守ろうとしてきたのか。今だ。今こそ平和だ。今こそ平和のために起つ秋ときではないか。そのために生きてきたのではなかったか。そして僕は平和の鍵を握っていたのだ。何か僕は天命をさずかったような気がしていた。

 非武装宣言ということは、従来の観念からすれば全く狂気の沙汰である。だが今では正気の沙汰とは何かということである。武装宣言が正気の沙汰か。それこそ狂気の沙汰だという結論は、考えに考え抜いた結果もう出ている。

 要するに世界は今一人の狂人を必要としているということである。何人なんぴとかが自ら買って出て狂人とならない限り、世界は軍拡競争の蟻地獄から抜け出すことができないのである。これは素晴らしい狂人である。世界史の扉を開く狂人である。その歴史的使命を日本が果すのだ。

(略)

問 お話の通りやがて世界はそうなると思いますが、それは遠い将来のことでしょう。しかしその日が来るまではどうする訳ですか。目下の処は差当り問題ないとしても、他日独立した場合、敵が口実を設けて侵略してきたらです。

答 その場合でもこの精神を貫くべきだと僕は信じている。そうでなければ今までの戦争の歴史を繰り返すだけである。然しかも次の戦争は今までとは訳が違う。

 僕は第九条を堅持することが日本の安全のためにも必要だと思う。勿論軍隊を持たないと言っても警察は別である。警察のない社会は考えられない。殊に世界の一員として将来世界警察への分担責任は当然負わなければならない。しかし強大な武力と対抗する陸海空軍というものは有害無益だ。僕は我国の自衛は徹頭徹尾正義の力でなければならないと思う。その正義とは日本だけの主観的な独断ではなく、世界の公平な与論に依って裏付けされたものでなければならない。そうした与論が国際的に形成されるように必ずなるだろう。何故なら世界の秩序を維持する必要があるからである。若し或る国が日本を侵略しようとする。そのことが世界の秩序を破壊する恐れがあるとすれば、それに依って脅威を受ける第三国は黙ってはいない。その第三国との特定の保護条約の有無にかかわらず、その第三国は当然日本の安全のために必要な努力をするだろう。要するにこれからは世界的視野に立った外交の力に依って我国の安全を護るべきで、だからこそ死中に活があるという訳だ。

問 よく分りました。そうしますと憲法は先生の独自の御判断で出来たものですか。一般に信じられているところは、マッカーサー元帥の命令の結果ということになっています。尤もっとも草案は勧告という形で日本に提示された訳ですが、あの勧告に従わなければ天皇の身体を保証できないという恫喝があったのですから事実上命令に外ならなかったと思いますが。

答 そのことは此処だけの話にして置いて貰もらわねばならないが、実はあの年の暮から正月にかけ僕は風邪をひいて寝込んだ。僕が決心をしたのはその時である。それに僕には天皇制を維持するという重大な使命があった。元来、第九条のようなことを日本側から言いだすようなことは出来るものではない。まして天皇の問題に至っては尚更である。この二つは密接にからみ合っていた。実に重大な段階にあった。

 幸いマッカーサーは天皇制を存続する気持を持っていた。本国からもその線の命令があり、アメリカの肚はらは決っていた。ところがアメリカにとって厄介な問題が起った。それは濠洲やニュージーランドなどが、天皇の問題に関してはソ連に同調する気配を示したことである。これらの国々は日本を極度に恐れていた。日本が再軍備をしたら大変である。戦争中の日本軍の行動は余りに彼らの心胆を寒からしめたから無理もないことであった。殊に彼らに与えていた印象は、天皇と戦争の不可分とも言うべき関係であった。日本人は天皇のためなら平気で死んで行く。恐るべきは「皇軍」である。という訳で、これらの国々のソ連への同調によって、対日理事会の票決ではアメリカは孤立化する恐れがあった。

 この情勢の中で、天皇の人間化と戦争放棄を同時に提案することを僕は考えた訳である。

 濠洲その他の国々は日本の再軍備を恐れるのであって、天皇制そのものを問題にしている訳ではない。故に戦争が放棄された上で、単に名目的に天皇が存続するだけなら、戦争の権化としての天皇は消滅するから、彼らの対象とする天皇制は廃止されたと同然である。もともとアメリカ側である濠洲その他の諸国は、この案ならばアメリカと歩調を揃え、逆にソ連を孤立させることが出来る。

 この構想は天皇制を存続すると共に第九条を実現する言わば一石二鳥の名案である。尤もっと天皇制存続と言ってもシムボルということになった訳だが、僕はもともと天皇はそうあるべきものと思っていた。元来天皇は権力の座になかったのであり、又なかったからこそ続いてきたのだ。もし天皇が権力を持ったら、何かの失政があった場合、当然責任問題が起って倒れる。世襲制度である以上、常に偉人ばかりとは限らない。日の丸は日本の象徴であるが、天皇は日の丸の旗を護持する神主のようなものであって、むしろそれが天皇本来の昔に還ったものであり、その方が天皇のためにも日本のためにもよいと僕は思う。

 この考えは僕だけではなかったが、国体に触れることだから、仮りにも日本側からこんなことを口にすることは出来なかった。憲法は押しつけられたという形をとった訳であるが、当時の実情としてそういう形でなかったら実際に出来ることではなかった。

 そこで僕はマッカーサーに進言し、命令として出して貰うよう決心したのだが、これは実に重大なことであって、一歩誤れば首相自らが国体と祖国の命運を売り渡す国賊行為の汚名を覚悟しなければならぬ。松本君にさえも打明けることの出来ないことである。したがって誰にも気づかれないようにマッカーサーに会わねばならぬ。幸い僕の風邪は肺炎ということで元帥からペニシリンというアメリカの新薬を貰いそれによって全快した。そのお礼ということで僕が元帥を訪問したのである。それは昭和二一(1946)年の一月二四日である。その日、僕は元帥と二人切りで長い時間話し込んだ。すべてはそこで決まった訳だ。

(以下略)

※ 松本烝治(憲法改正担当国務大臣)

戦争放棄と天皇の人間化という発想が、困難を極めた軍縮交渉など幣原自身の体験と、核兵器の脅威という目の前の現実から、いわば必然的に生まれてきたことがわかる。これは、意に反して天皇制維持とのバーターで戦争放棄を押し付けられた人間に語れることではない。

なお、小林のブログ記事からリンクされているビデオの中で高森明勅(拓殖大客員教授)は、朝鮮戦争の勃発(1950年6月25日)に伴い日本に再軍備させる必要が生じた結果、9条がマッカーサーの発案では都合が悪くなり、それまでマッカーサーの発案だと言っていた側近のホイットニーが幣原の発案だと言うようになった、などと(根拠を示すことなく)述べている。しかし、マッカーサー本人が既に1946年の段階で、戦争放棄は日本側が提案したと公式に発言しているので、この主張は成り立たない。

 マッカーサーは、憲法草案を示したあと、連合国にこう説明していました。

マッカーサー:「日本が提案した、世界中の人々のことを考えた「戦争放棄」を私は尊重する」

日本が提案した戦争放棄


【2016/11/6追記】
この連合国対日理事会でのマッカーサーの演説について、青山学院大の中野昌宏教授がブログで解説されている(「マッカーサー対日理事会演説より」)。詳細はそちらを読んで頂くとして、演説から9条提案関連の部分のみ紹介する。 

 日本政府は、今や国家の政策としての戦争が、完全な失敗であることを知った人民を支配しているのであるが、この日本政府の提案は、事実上人類進化の道程における更にもう一歩の前進、すなわち国家は戦争防止の方法として、相互間に国際社会道徳上、または国際政治道徳上、さらに進んだ法律を発達させねばならぬということを認めたものである。(略)

 ゆえに私は、戦争放棄の日本の提案を、世界全国民の慎重なる考察のため提供するものである。これは途を――ただ一つの途を指し示すものである。連合国の安全保障機構は、その意図は賞讃すべきものであり、その目的は偉大かつ高貴であることは疑えないが、しかし日本が、その憲法によって一方的に達成しようと提案するもの、すなわち国家主権の戦争放棄ということを、もしすべての国家を通じて実現せしめ得るなら、国際連合の機構の永続的な意図と目的とを成就せしむるものであろう。(略)

  われわれはこの理事会において、近代世界の軍事力および道義の力を代表しているのである。戦争という高い代価を払ってあがなった平和を固めかつ強めることは、われわれの責任であり仕事である。(略)それによって、世界人類の教養ある良心から、満腔の共鳴をうけるような平和維持のため、世界をして、さらに一歩、より高き法則に歩みよらせることが、われらにできるよう祈りを捧げるものである。

【追記終り】

根拠らしい根拠を示せない否定論には説得力がなく、到底幣原発案説を覆せるものではない。戦争放棄条項は幣原の発案という結論でほぼ間違いなさそうだ。
 
[1] 平野三郎 『幣原先生から聴取した 戦争放棄条項等の生まれた事情について
   国立国会図書館憲政資料室 「憲法調査会資料(西沢哲四郎旧蔵)」 文書番号165

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