最近、坂口安吾の『堕落論』『続堕落論』を読んだのだが、この中で坂口は非常に鋭い天皇制批判を展開している。
続堕落論[1]:
いまだに代議士諸公は天皇制について皇室の尊厳などと馬鹿げきったことを言い、大騒ぎをしている。天皇制というものは日本歴史を貫く一つの制度ではあったけれども、天皇の尊厳というものは常に利用者の道具にすぎず、真に実在したためしはなかった。
藤原氏や将軍家にとって何がために天皇制が必要であったか。何が故に彼等自身が最高の主権を握らなかったか。それは彼等が自ら主権を握るよりも、天皇制が都合がよかったからで、彼らは自分自身が天下に号令するよりも、天皇に号令させ、自分がまっさきにその号令に服従してみせることによって号令が更によく行きわたることを心得ていた。その天皇の号令とは天皇自身の意志ではなく、実は彼等の号令であり、彼等は自分の欲するところを天皇の名に於て行い、自分が先ずまっさきにその号令に服してみせる、自分が天皇に服す範を人民に押しつけることによって、自分の号令を押しつけるのである。
自分自らを神と称し絶対の尊厳を人民に要求することは不可能だ。だが、自分が天皇にぬかずくことによって天皇を神たらしめ、それを人民に押しつけることは可能なのである。そこで彼等は天皇の擁立を自分勝手にやりながら、天皇の前にぬかずき、自分がぬかずくことによって天皇の尊厳を人民に強要し、その尊厳を利用して号令していた。
権力者が自ら天下に号令するよりも、天皇に号令させるほうが、その号令を強制するだけの権威や正当性が自分にあることを証明して見せる必要がないので楽。「都合がよい」とはそういうことだ。
『続堕落論』は敗戦の翌年、まだ東京裁判が進行中だった1946年12月に発表された文章だ。この中で坂口は、当時の時代的制約(日本政府とGHQによる天皇免責工作の影響)により、昭和天皇が単なる軍部の操り人形だったかのような誤認もしているのだが、天皇という空虚な「権威」を各時代の権力者たちがいかにうまく利用してきたかについての彼の分析には非常に鋭いものがある。
一方こちらは、1953年に出版された、歴史学者井上清による天皇制批判[2]。ここで井上は、坂口とは逆に、時の権力者たちに利用されることによって自らの権威と命脈を保ってきた天皇という存在の側から見ることで、君主としてのその特異性(寄生性)を暴き出している。
天皇の万世一系性は何によって保たれてきたかといえば、彼が皇太子を生むということのほかには何ごともせず、古代においては奴隷主貴族の、中世には農奴主武士の、近代には地主と資本家の人民搾取と圧政の王冠となるというふうに、これまでつねにあらゆる時代あらゆる社会の搾取=支配階級の結集する軸やその頂点となりながら、しかも天皇その人が、みずから権力を直接に専制的にふるうことはなかったということによる。制度上唯一最高の権力者となっているばあい――古代専制主義および近代絶対主義の天皇制のごとき――でさえも、天皇はじっさいにはローマのネロとかフランスのルイ一四世とかいうような権力者であるよりも、むしろ半ば呪術師的な最高権威であった。
このことは反動的歴史家たちによって、天皇の非専制君主性を説く論拠とされているが、それは天皇の一般君主よりもとくにいちじるしい寄生性をこそ示すものではあっても、すこしもその非専制性を示すものではない。天皇の権威なるものは、けっして生産人民のための権威となったことがなく、またその本質上人民の権威たりえずして、人民を搾取し抑圧し専制する階級の権威としてのみ存在してきたし、また必然的にそういうものとしてしか存在できないものである。
坂口と井上の批判からは、各時代の権力者と天皇とが、互いに利用し合うことで、効率よく人民から収奪し続けてきたことがよくわかる。そして天皇とはつまり、自分では権力を勝ち取るための努力など何もしないまま、ただその時その時の実力者に「権威」を売ることで生き延びてきた存在なのだ。
天皇制は、世界的にも類を見ない日本独自の「寄生君主制」だと言っていいだろう。そしてこの点では、現在の象徴天皇制もまたかつてのそれと何ら変わりはない。
坂口は、「天皇制が存続し、かかる歴史的カラクリが日本の観念にからみ残って作用する限り、日本に人間の、人性の正しい開花はのぞむことができない」「人間の正しい光は永遠にとざされ、真の人間的幸福も、人間的苦悩も、すべて人間の真実なる姿は日本を訪れる時がないだろう」とも言っている[3]のだが、まさにそのとおりで、天皇制などという寄生君主制の「権威」に拝跪し続けている限り、この国に真っ当な人間の理性と感性に基礎を置いた社会が成立することは到底望み得ないだろう。
[1] 坂口安吾 『堕落論・日本文化私観 他二十二篇』 岩波文庫 2008年 P.235-236
[2] 井上清 『天皇制』 東大新書 1953年 P.251
[3] 坂口 P.238