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朝ドラ『エール』の古関裕而もまた一人の鮫島伝次郎だった件

NHKの朝ドラ『エール』の主人公「古山裕一」は実在の作曲家古関裕而をモデルとしているが、現実の古関裕而の人物像は『エール』で描かれたものとはだいぶ違っていたようだ。

『エール』の古山裕一は慰問に訪れたビルマで悲惨なインパール作戦の現場を目撃し、敗戦後は虚脱状態となって長い間曲も書けなくなっていたのだが、実際には戦争に協力したことへの深刻な反省などなかったという。『文化復興1945年――娯楽から始まる戦後史』(朝日新書)を書いた中川右介氏が次のように指摘している。

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戦後の文化再興の群像劇の登場人物のひとりが古関裕而なので、この作曲家についても調べたので、少しは知っている。だから、『エール』を見ると、現実の「古関裕而」とドラマの「古山裕一」との相違点が気になって仕方がない。

それをひとつひとつあげていくときりがないので、結論から言えば、話題になった「戦争を真正面から描いた週」は、大半がフィクションだ。

たしかに古関裕而も慰問のために戦地へ行くが、そこで恩師と再会し、その恩師が死んだという事実は、まったくない。あんな危険な前線にまでは行っていない。

戦地から戻った古山裕一は虚脱状態で敗戦を迎えていたが、古関裕而は元気に敗戦を迎えた

(略)

『エール』では、敗戦直後にラジオドラマの仕事の依頼が来るが断わり、以後、1年半にわたり、曲が書けなかったことになっているが、それもフィクションだ。

現実の古関裕而は敗戦直後は福島にいたが、10月初めに、NHKから連絡があり、ラジオドラマの音楽を受注した。それまでの2ヵ月ほど、作曲していないのは、悩み苦しんでいたからではなく、単に、仕事の依頼がなかったからだ。混乱期で、レコード会社も放送局も、まだ何をしていいか分からなかったのだ。

(略)

実在した人物をモデルにしたからと、すべてを事実に即す必要はない。加工、脚色ももちろん、ゆるされる。

しかし、モデルとなった人物の本質にふれる部分で、事実を正反対にしてしまうのは、おかしい

敗戦後、古関裕而は軍歌を作ったことに、「複雑な思い」は抱いたとしても、それを悔いたり、自分がしたことに悩んだり、曲が書けなくなったり、スランプに陥ったり、しない。

古関裕而は、早稲田大学の応援歌を作った後、慶應義塾大学の歌も作った。タイガースの歌を作ったかと思えば、ジャイアンツの歌も作った。

同じように戦意高揚の軍歌を頼まれれば作るし、原爆被害者への鎮魂をこめた『長崎の鐘』も作ってしまう。そういう人なのだ

戦後の古関裕而は陸上自衛隊の隊歌『この国は』『君のその手で』や行進曲『聞け堂々の足音を』なども作曲しているし、また戦争アニメ『アニメンタリー 決断』の制作にも参加してその主題歌『決断』『男ぶし』を作曲している。古関が自身の戦争協力を深刻に反省していたなら、到底こんなことはできなかっただろう。(このアニメでは、古関が戦時中に作曲した軍歌『ラバウル海軍航空隊』も使われている。)

古関裕而もまた、一人の鮫島伝次郎だったようだ。長崎の平和祈念像を作った北村西望や『かわいそうなぞう』の土家由岐雄と同じように。

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ちなみに、「鮫島伝次郎」は『はだしのゲン』に出てくる町内会長で、戦時中は戦争に非協力的なゲンたち一家にさんざん嫌がらせをしていたのに、戦後になると以前から戦争反対を主張していたかのように装って政治家に転身した人物だ。[1]

しかし、責められるべきは古関のような芸術家や文化人だけではない。彼らは作品という証拠があるからその変節が分かりやすいだけで、彼らに限らず、戦中戦後を生きた日本人の大部分が、実際には程度の差こそあれ、ある意味鮫島伝次郎の同類だったのではないか。

日本人はまず、自分たちがバスでも乗り換えるかのように簡単に軍国主義から平和主義に転向したという事実を認めなければならないし、なぜ自分たちがそれほど軽薄だったのかを考えなければならない。

それができずに、事実を歪めて創作されたキャラクターの苦悩に涙しているようでは、真摯な反省に基づいて周辺被害国と和解することなど、到底無理な話だ。

[1] 中沢啓治 『はだしのゲン 4』 中公文庫 1998年 P.92-95

 

文化復興 1945年――娯楽から始まる戦後史 (朝日新書)
 
〔コミック版〕はだしのゲン 全10巻

〔コミック版〕はだしのゲン 全10巻

  • 作者:中沢 啓治
  • 発売日: 1993/04/01
  • メディア: コミック