昨日、TLにこんなツイートが流れてきた。
まじで人生は考え方次第。 pic.twitter.com/TZfyxt0VsC
— チャイ (@yPy3KUeGIpXkwkC) October 11, 2022
画像内の文章を行番号をつけて書くとこうなる。
1 この世は、
2 思った通りになるのだそうで。
3 思った通りにはならないよと
4 思っている人が、
5 思った通りにならなかった場合、
6 思った通りになっているので、
7 やっぱりそれは、
8 思った通りになっているのだそうで。
一見もっともらしく見えるが、この文章では「思った通り」という言葉が二つの異なる意味で使われている。
2・3・5行目の「思った通り」は「思いどおり=望んだ通り」の意味であるのに対して、6・8行目のそれは「予想した通り」の意味で使われており、この言葉が複数の意味を持ちうることを利用して虚偽の主張を真実かのように見せている。
次のように書き換えてみればその虚偽性は明らかだろう。
1 この世は、
2 望んだ通りになるのだそうで。
3 望んだ通りにはならないよと
4 思っている人が、
5 望んだ通りにならなかった場合、
6 予想した通りになっているので、
7 やっぱりそれは、
8 予想した通りになっているのだそうで。
この手の詭弁を「媒概念曖昧の虚偽」と呼ぶ。[1]
媒概念曖昧の虚偽
媒概念とは、ふたつの前提に共通に含まれている概念Bのことである。ここにふた通りの意味で使われる言葉をあてると、いろいろおもしろい(場合によっては深刻な)推論ができる。まず簡単な例を挙げてみよう。
塩は水にとける。
あなたがたは、地の塩である。
ゆえに、あなたがたは水にとける。
ここで、ふたつの前提に共通の概念「塩」が、別の意味で使われていることに注意しなければならない。第一の前提では、物質的なふつうの塩をさしているし、第二の前提では「役に立つもの」というような比喩的な意味で使われている。役に立つ人間が水にとけるわけはないから、結論はもちろん誤りである。この種の詭弁は、媒概念暖昧の虚偽と呼ばれる。
こういう露骨な例だとわかりやすいが、上記ツイートなどはかなり巧妙なやり方と言えるだろう。
ちなみに、いささか無理筋ではあるが、上記ツイートの文章の「思った通り」をすべて「予想した通り」の意味と解釈することもできなくはない。
1 この世は、
2 予想した通りになるのだそうで。
3 予想した通りにはならないよと
4 思っている人が、
5 予想した通りにならなかった場合、
6 予想した通りになっているので、
7 やっぱりそれは、
8 予想した通りになっているのだそうで。
しかしこの場合でも、2・3・5行目の「予想した通り」は「何らかの具体的な予想が当たること」を意味しているのに対して、6・8行目の「予想した通り」は、「予想は当たらないという考えが正しいこと」を意味しているので、やはり意味がずれている。
いずれにせよ、平気でこういう詭弁を使ってくるような相手を信用すべきではない。
[1] 野崎昭弘 『詭弁論理学』 中公新書 1989年 P.93-94