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追悼、野中広務氏。しかし、やはり許せない思いが残る。

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■ 生涯にわたって差別と闘い続けた野中氏

1月26日、内閣官房長官や自民党幹事長等を歴任した野中広務氏(92)が死去した。心からご冥福をお祈りする。

野中氏は、被差別部落出身者として初めて政権中枢にまで上り詰めた政治家だ。そこに至るまでには、壮絶な差別との闘いがあった。以下は、野中氏が辛淑玉さんに語った、政治家を志すきっかけとなったエピソードの一つだ[1]。

 野中さんは戦後すぐには政治家にならず、徴兵前からお勤めだった大阪鉄道局に復職なさんるんですね。

野中 僕は19歳の時に兵隊から帰ってきて、20歳になってから、大阪の吹田にある鉄道教習所に新人を教えにいっていたんです。昇級も、「もう頼みますから昇級させないでください」とお願いするぐらい、とんとん拍子で上がっていた。(略)そんな中で、僕の人生を変える出来事が起こったわけです。

 それはどんな?

野中 自分の町から中学の後輩を二人、大阪鉄道局に入れたんです。そして自分の隣に座らせて手取り足取り仕事を教えてやった。ある時、後輩にこう言ったんです。
「俺は旧制中学より上の学校に行けなかった。せめて関西大学の夜学、つまり二部へ行きたかったけれども、戦後の男のおらない時代で重宝がられて、そのうちに競争の渦の中に巻き込まれたから学校に行く暇がなかった。俺はおまえたちの仕事をコントロールしてやるから、おまえたちは関大の二部へ行け」
(略)
 彼に対しては、学校から帰ってきて遅くなったら、僕が下宿で飯を炊いてやって大学を卒業させた。そいつに裏切られるとは夢にも思わなかったけど、忘れもしない1950(昭和25)年、偶然、こんなやりとりを耳にしてしまったんです。会議室のところで、僕より給料もポストも下の先輩が、僕の昇級に不満を持っているのか、こう言った。「なんであいつだけ特待生みたいに昇級するんだ」って。塀ひとつ隔てた部屋に僕がいることは、その先輩は気づいていない。するとその先輩に地元の後輩がこう言うわけ。
野中さんは大阪におったら飛ぶ鳥落とす勢いだけど、地元に帰ったら部落の人だ
 僕は、「ええー!」と思った。
 自分の下級生を、自分の町の人間を連れてきて、将来の道が開けるように大学に行かせて、夜学から帰ってきたら味噌汁も作ってやった。これだけ誠意を持って世話した人間に、なぜこんなことを言われなければならないのかと思ったら、ガクーと落ち込んだですよ。
 パアーッと一目散に下宿へ帰った。帰って、四日間ぐらい僕は七転八倒したですよ。ほんとに苦しんだ。けれどもその時に出した結論が、僕は大阪でいくら一生懸命やってたってダメなんだと。地元には部落という位置づけで差別の対象にされる現実があるんだと。だから自分の出自を知ってくれてるとこへ真っ直ぐ帰って、今からやり直そうと。そこからもう一度自分の生き方を考えてみようと。

このような経験を経て政治家となった野中氏は、安倍や麻生のような、親の金と権力のおかげで何の苦労もなくのしあがった連中とは、そもそも人間としての出来が違う。

■ ハト派と呼ばれながら、実際にやったことは極右化への地ならし

また野中氏は、その弱者に寄り添う姿勢や憲法改悪に反対する発言などからいわゆる「ハト派」とされ、リベラル側からの評価も高い。

だが、彼が政治家として実際に行ってきたことを見れば、到底そのようには評価できないことも確かだ。

一例を上げれば、1999年制定の国旗国歌法がある。小渕内閣の官房長官だった野中氏は、この法案の成立にとりわけ熱心に取り組んだ。同年6月29日、野中氏は衆院本会議で法案の趣旨を次のように説明している。

◯国務大臣(野中広務君) 中西議員の私に対する質問にお答えをいたします。
 立法動機として不十分ではないかとの御指摘をいただきましたが、再三にわたり小渕総理より御答弁を申し上げておりますとおり、今回の国旗・国歌の法制化の趣旨は、日の丸・君が代が長年の慣行によりまして、それぞれ国旗・国歌として国民の間に広く定着していることを踏まえまして、二十一世紀を迎えることを一つの契機として、成文法によりその根拠を明確に規定することが必要であるとの認識のもとに、法制化を図ることとしたものでございます。
(略)
 法制化の必要性につきましては、我が国は成文法を旨とする国でありますことから、また、諸外国におきましても国旗・国歌を成文法で規定している国々が多いことなどを考えまして、これまで慣習として定着していた国旗・国歌を、成文法にこの根拠を明確に規定することが必要であるとの認識のもとに、法制化を図ることとしたものでございます。
(略)
 憲法が保障する思想、良心の自由とは、一般に、内心について国家はそれを制限したり禁止したりすることは許されないという意味であると解されており、国旗・国歌についての指導は、児童生徒が将来広い視野に立って物事を考えられるようにとの観点から、国民として必要な基礎的、基本的な内容を身につけることを目的として行われておるものでございまして、児童生徒の思想、良心を制約しようというものではございません

慣習上の国旗国歌である日の丸・君が代を成文法化するだけで、思想・良心の自由を縛るものではないとする野中氏のこの発言が、少なくとも結果として大嘘だったことは、その後の経緯を見れば明らかだろう。

1997年の米軍用地特措法「改正」もそうだ。

1995年、沖縄県の大田昌秀知事が、米軍用地を土地所有者の意志に反して使用し続けるために必要な手続きである代理署名を拒否した結果、翌1996年には米軍基地の一部に使用期限が切れて不法占拠状態となった土地が現れた。この「改正」は、地主、土地収用委員会、県知事のすべてが使用を拒否しても土地の継続使用を可能にする、しかも法成立以前にまで遡ってそれを合法化するというとんでもない代物である。野中氏はこの「改正」を審議する衆院特別委員会の委員長だった。

4月11日、委員会での可決を経て衆院本会議で委員会報告を行った際、報告の最後に野中氏は、「ひとこと発言をお許しいただければ」と前置きして、1962年に京都府園部町長として初めて沖縄を訪れたときの体験を語っている[2]。

 沖縄行きの目的は、沖縄戦で二千五百四人もの京都の人たちが命を落とした宜野湾市に慰霊碑を建てることだった。空港から現地へ案内してくれたタクシーの運転手がいきなり車を止め、「あのサトウキビ畑のあぜ道で私の妹は殺された。アメリカ軍にではないです」と言った。野中氏はその時の体験を話した上で、次のように述べた。

この法律が、沖縄を軍靴で踏みにじるような、そんな結果にならないように、古い、苦しい時代を生きてきた人間として、国会の審議が大政翼賛会のような形にならないように、若い皆さんにお願いをして、私の報告を終わります

 委員長報告に自分の意見を加えてはならないという規則があるため、その発言は後日、議事録から削除された。だが、戦争の悲惨さを知る野中氏の発言はメディアでも大きく取り上げられた。

この「改正」特措法が沖縄県民の意志を軍靴で踏みにじる結果になることは最初から明らかだった。というより、これはそうするために作った法律である。

本人は委員長就任を望んでいなかったとも、委員会でのあまりの賛成票の多さに不安を覚えたからとも言われている[3]が、こんな悪法を自分たちで作っておいて、この発言はいったい何なのか。

琉球大学の島袋純教授は、野中氏のような「沖縄への想いを強く持つ」政治家について、次のように評している[4]。

――本土の保守政治家にも山中貞則や橋本龍太郎、梶山静六、野中広務といった沖縄への想いを強く持つ政治家もいました。彼らの功罪についてはどうお考えですか。

島袋 善意は確かにありました。沖縄に対していつも悪いという気持ちを持ち、実際に、ここは耐え忍んでくれというようなことも言ったんじゃないかなと思う。古いタイプの保守政治家ですね 。
 彼らの功罪を考える時、まず踏まえるべきは、沖縄の本土「復帰」の核心は何だったかということです。復帰のもっとも重要な点は、アメリカ軍基地を復帰前と同じレベルで保全し、自由使用を継続することでした。これこそ返還協定の核心であり、基地の自由使用の権限を勝ち取ることこそアメリカ政府の外交の核心だった。
 そのために日本では、沖縄の人からすれば制裁、ムチにしか見えない特別立法を次から次に通した。その最たるものが「沖縄における公有地暫定使用」法です。戦争が終わった後も戦勝国はずっとその土地を軍用地として占領し続けることが許されるか。そういうことは絶対にあり得ない。これは国際的に見ても、どこの国の憲法から見ても違憲、違法としか言えない、戦勝国による戦争終了後の土地の不法占拠を禁止したハーグ陸戦条約の46条、47条に違反する内容です。明らかに非合法ですが、普天間飛行場はそうやって沖縄の人々の土地が占領され建設されました。今言われている普天間の返還というのは、本来、不法に占拠されたものを返すだけの話なんです。
 この公有地暫定使用法を――公用地とは軍用地のことですが――復帰前に国会で通して、72年5月15日に適用した。違法な土地の占領が日本の法律によって形式的に合法化されたのです。日本の憲法学者はこれについて言及しない。どういうわけか、大々的に議論にならない。
 復帰前に国会で通った一連の特別法や特別措置法――駐留軍用地特別措置法や刑事特別措置法を含む――によって、不法占拠した土地について沖縄の人間が返せと言ってその域内に入ると刑事特別措置法で逮捕される。最近では平和運動センターの山城博治さんも刑事特別措置法でやられました。いったいどっちが正しいのでしょうか。
 こうした制裁的な措置だけでは沖縄の統治は続かないということで出て来たのが先の保守政治家たちです。誠心誠意をこめて沖縄の振興、発展に取り組みますと。沖縄戦では苦労をかけたけど、米ソ冷戦体制がもうしばらく続きそうなので、本当に申し訳ないけれども「我々は償いの心をもって振興にとりくみます」というのが彼らのスタンスでした。
 しかし繰り返しますが、米軍基地の存続と自由使用を強制する沖縄に対する制裁部分こそ、ムチの部分こそが沖縄返還の本質なんです。これには一切手を触れさせず、言及もできない。それが沖縄振興体制だったということです。山中貞則はたしかに「償いの心」をもって沖縄振興体制をつくりました。ただし結果として、沖縄振興体制は基地の存在を正当化し、これを存続させる手段にもなった。そのことに県民もなんとなく気づいていたかもしれないけれど、95年の少女暴行事件以来の沖縄対日本の政治の中で明白にわかるようになるのです。
 これが今も続いているんです。

■ この国に必要なのは、殴るのをやめさせる政治家

どれほど弱者に寄り添う姿勢を見せても、結局自民党の政治家として野中氏がやってきたことは、その弱者を踏みにじり、この国の戦前回帰を加速する政策の推進でしかなかった。

確かに、安倍や麻生のような、平然と、時にはへらへら笑いながら弱者を殴りまくる政治屋よりははるかにましかもしれない。しかし、泣きながら、謝りながら殴っても、結局殴っていることに変わりはない。この国に必要なのは、泣きながら殴る政治家ではなく、殴るのをやめさせる政治家だ。

野中氏に限らず、保守・右派の政治家の中に、殴るのをやめさせてくれる人はいない。「本当の保守」がどこかにいるなどという幻想はもう捨てるべきだ。

[1] 辛淑玉・野中広務 『差別と日本人』 角川Oneテーマ21 2009年 P.63-65
[2] 同 P.136-137
[3] 同 P.315-136
[4] 平井康嗣・野中大樹 『国防政策が生んだ沖縄基地マフィア』 七つ森書館 2015年 P.221-223

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