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女性差別を「伝統」だと強弁する相撲協会からは公益法人格を剥奪せよ

■ 何が起きたのか

現場で撮影された動画や報道内容[1][2]をまとめると、次のような経過だったことがわかる。

  • 4月4日、京都府舞鶴市で行われていた大相撲春場所巡業の土俵上で、挨拶をしていた多々見良三市長(67)が突然倒れた。(後にくも膜下出血と診断され手術・入院。幸い、命に別状はないとのこと。)
     
  • 観客席から数人の女性が土俵に駆けつけ、救命措置の心臓マッサージを始めた。(この女性たちは看護師で、一人は多々見氏が以前院長をしていた病院の看護師だった。)
     
  • 女性たちが一刻を争う救命措置を行っている最中、「女性の方は土俵から降りてください」という場内放送が何度も繰り返された。
     
  • その後、救急隊員が到着し、心臓マッサージを交代。市長を担架に乗せて搬送。
     
  • 市長が運び出された後、土俵には大量の塩が撒かれた。


信じられないほど愚かな、人命軽視かつ差別丸出しの対応である。

■ 相撲協会のみっともない言い訳

当然、人命がかかった状況下で差別的「女人禁制」を持ち出した協会には批判が殺到した。これに対して、協会側は当初、一部の観客から「女性が土俵に上がっていいのか?」との声が挙がったため、若手行司が慌ててアナウンスしてしまったと言い訳した[3]。

しかし、実際には場内アナウンスだけでなく、現場で協会員が直接女性たちに「降りなさい」と指示していたことが判明し、この言い訳は崩壊した[4]。だいたい、観客が何を言おうがそれを協会が聞くかどうかは別問題だし、あの場で観客がそんなことを言ってしまうのも、協会が長年「土俵は女人禁制」と言い続けて相撲ファンを「教育」してきた結果だろう。

■ 「女人禁制」は相撲の伝統ではない

協会は「土俵は神聖な場所であるため」として女人禁制の「伝統」に固執し続けている[5]が、歴史的に見るとこれは事実ではない。

一般的に、日本における相撲の起源は、日本書紀垂仁紀(11代)における野見宿禰(のみのすくね)と当摩蹶速(たぎまのくゑはや)の捔力(すまひ)とされている。

(略)天皇聞きこしめして、群卿まへつきみたちに詔みことのりして曰のたまはく、「朕われ聞けり、当摩蹶速は、天下の力士ちからびとなりと。若けだし此に比ならぶ人有らむや」とのたまふ。一ひとりの臣進みて言まうさく、「臣聞うけたまはる、出雲国に勇士いさみびと有り。野見宿禰と曰ふ。試に是の人を召して、蹶速に当あはせむと欲おもふ」とまうす。(略)是に、野見宿禰、出雲より至れり。則ち当摩蹶速と野見宿禰と捔力すまひとらしむ。二人相対あひむかひて立つ。各おのおの足を挙げて相蹶あひふむ。則ち当摩蹶速が脇骨かたはらほねを蹶み折く。亦其の腰を踏み折くじきて殺しつ。故かれ、当摩蹶速の地ところを奪りて、悉ことごとくに野見宿禰に賜ふ。

しかしこの「捔力」ではもっぱら蹴り技で闘い、最後には相手を踏み殺しているなど、相撲というよりムエタイのような南方系の格闘技に近い。これに対して、現代と同じ表記の「相撲」が現れるのは、日本書紀雄略紀(21代)における次の記述が最初である。

秋九月に、木工こだくみ韋那部真根ゐなべのまね、石を以て質あてとして、斧を揮りて材を斲けづる。終日ひねもすに斲けづれども、誤りて刃を傷やぶらず。天皇、其所そこに遊詣いでまして、怪あやしび問ひて曰はく、「恒つねに石に誤り中てじや」とのたまふ。真根、答へて曰さく、「竟つひに誤らじ」とまうす。乃すなは采女うねめを喚し集つどへて、衣裙きぬもを脱ぎて、著犢鼻たふさぎして、露あらはなる所に相撲とらしむ。是に、真根、暫しばしめて、仰ぎ視て斲けづる。覚えずして手の誤に刃傷きずつく。天皇、因りて嘖譲めて曰はく、「何処にありし奴やつこぞ。朕を畏おそりずして、貞ただしからぬ心を用て、妄みだりがはしく輙軽ただちに答へつる」とのたまふ。仍りて物部もののべに付さづけて、野に刑ころさしむ。(略)

裸体に「たふさぎ=ふんどし」を着けて相撲を取っているのだから、まさに現代のそれと同じスタイルだ。しかし、ここで相撲を取っているのは采女、つまり女性なのだ。相撲協会が公式HPの「相撲の歴史」でこの記事を無視しているのは、女人禁制を「伝統」だと言うのに都合が悪いからだろう。

時代が下って室町時代になると、文禄5(1596)年刊行の「義残後覚」に、立石関での勧進相撲に「年のころ二十許ばかりなる比丘尼」が参加して勧進元の取手を「仰あおのけに突倒し」たといった記述があり、相撲への女性の参加が別段タブーではなかったことがわかる。そして江戸時代となると普通に女相撲が行われ、力士の風体も土俵の様子も男の相撲の場合と変わりはなかった。[6]

 資料1は江戸時代の女相撲の様子であり、黄表紙に出てくるものである。資料2は勝川春章が描いた江戸時代の勧進相撲の様子である。2枚の絵の様子は酷似しており、4つの共通点が見られる。まず第1は力士の様子であり、裸体にまわし姿である。第2は土俵の様子であり、天明年間から昭和6年(1931年)まで一般的であった二重土俵を用いている。第3は四本柱と、柱に巻きつけられた布や付属のもの。第4は土俵の外側に置かれた手桶であり、恐らく力水であろう。資料1を見る限り、女相撲も神道としての色彩が色濃くあったわけである。

■ 「国技」も「土俵の神聖」も相撲興行集団が作り出したフェイク

相撲協会によるイメージ作りとは逆に、江戸時代までの相撲は芝居や見世物と同様、庶民に娯楽を提供するものに過ぎなかった。

そして明治に入り、政府が近代国家の体裁を整えるために躍起になりだすと、裸同然の姿で取っ組み合う相撲も前近代の悪しき遺物と見なされ、存続の危機に陥った。

まず1872(明治5)年の違式詿違条例によって男女混合の「合併相撲」が姿を消した。次いで1877(明治10)年には、内務卿大久保利通によって神社仏閣の境内での見世物興行が禁止され、それまで伝統的に両国回向院で行われてきた勧進相撲が行えなくなるという事態に至った。(その後、必死の交渉により興行場所については許可を獲得。)[7]

そのまま相撲自体が消滅してもおかしくない状況だったのだが、折よく欧化主義への反発から盛り上がってきた国粋主義に便乗することで相撲は奇跡的な復活を遂げる。まず1884(明治17)年に行われた天覧相撲によって禁止論は封印され、また外国人の目を気にして常設館設置の機運が高まった結果、1909(明治42)年には回向院境内に旧両国国技館が完成して、相撲は「国技」と見なされるようになった。[8]

要するに、「国技」も「土俵の神聖」も相撲興行集団が生き延びるために言い出したフェイクだったわけで、女人禁制も神道の「穢れ」観を利用して相撲を特別なものに見せかける道具立ての一つに過ぎないのだ。

■ 差別を正当化する相撲協会に公益法人を名乗る資格はない

舞鶴市での事件の後も、相撲協会は土俵に女性を上がらせないという方針を変えていない。4月6日の「宝塚場所」でも、土俵上での挨拶を希望した中川智子市長(70)の申し出を断わり、土俵下で挨拶させている。[9]

 土俵下に置かれた台に立ってマイクを握った中川市長は、他都市での巡業では男性市長が土俵に立ってあいさつしていると説明。「私は女性市長ですが人間です。女性であるという理由で、市長でありながら、土俵の上であいさつができない。悔しい。つらい」と訴えると、観客から拍手が起こった。
(略)
 春巡業「宝塚場所」でのあいさつを巡っては、中川市長が5日、男性市長と同じように土俵上であいさつをしたいと、巡業の実行委員会に打診。同委員会は日本相撲協会の親方に確認して「相撲の伝統に配慮し、下でお願いしたい」と回答した。また、日本相撲協会巡業部長の春日野親方は6日、宝塚場所の会場で神戸新聞などの取材に応じ、「協会の決まりなので粛々とやっていく」などと述べ、女性市長が土俵に上がるのは認められないとする協会の方針を示していた。

相撲協会があくまで女人禁制を続けるというのなら、勝手にすればいい。しかし、差別を正当化するような団体に公益性などない。今後も是正を拒否するなら、相撲協会から公益法人格を剥奪すべきだ。


【2018/4/10追記】
大相撲の土俵というのは、たとえ救命のためでも女性が上がるのは許されないほど神聖なものなのに、金儲けの宣伝のために車を載せてタイヤで踏みつけるのは構わないらしい。とんだ「神事」もあったものである。

【追記終わり】

※本記事中に引用した日本書紀の読み下し文は、坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋校注 『日本書紀(二)(三)』(岩波文庫 1994年)に基き、一部変更・補足している。

[1] 『土俵で心臓マッサージしていた女性に「降りて」 京都』 朝日新聞 2018/4/4
[2] 『「土俵から降りて」市長を救命の女性は看護資格あり、その後大量の塩撒かれる』 MBS NEWS 2018/4/6
[3] 『若手行司が女人禁制の指摘に慌て土俵降下アナウンス』 日刊スポーツ 2018/4/4
[4] 『「下りなさい」相撲協会員、口頭でも直接指示 心臓マッサージの女性は看護師』 産経新聞 2018/4/5
[5] 『「人命」より「女人禁制」重視か 角界対応に厳しい声』 産経WEST 2018/4/6
[6] 吉崎祥司・稲野一彦 『相撲における「女人禁制の伝統」について』 北海道教育大学紀要 2008/8 P.76-77
[7] 同 P.82
[8] 同 P.83
[9] 『宝塚市長「土俵上がれず悔しい」 大相撲春巡業「伝統守り、変革する勇気を」と呼び掛け』 神戸新聞 2018/4/6

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