東京新聞に忘れがたい記事が載っていたのでメモ。
東京新聞「私説 論説室から」(10/27):
午前4時半の「少女」
忘れられないメールがある。
福岡県の女子高生が一年余り前、東京都内の市民団体代表に送ったものだ。「私の人生は普通の高校生が送ってきた人生とは、かなり懸け離れていると思います」と始まる。
彼女の家庭は生活保護を受けている。朝は四時半に起き、自分で弁当を作り、一時間半かけて学校へ行く。終わるとバイトに行き、家に帰るのは夜十時ごろ。家事、勉強をし、寝るのは午前零時をまわる。そういう中でも、彼女は優秀な成績を保っている。だが、進学は経済的な理由で厳しい。
「専門学校も奨学金で行けばいいと言われるが、卒業後、高校と専門学校の奨学金を同時返済し、さらには親を養えと言われる。私はいつになれば私の人生を生きられるのか。家族を恨んでいます。私たちの家に関わってきた大人たちのことも同様に」
全生活保護受給者の七人に一人が子どもだ。その子どもが成人し、独立しても、生活保護を受給する親の扶養がついてまわれば、貧困から抜け出せないかもしれない。
七月に施行された改正生活保護法による親族ら扶養義務者への圧力強化は、親から子への貧困の連鎖を断ち切るとうたう政府の「子ども貧困対策大綱」の理念にも反している。
「これ以上、何を我慢すればいいのか」
彼女の訴えがずっと、心に引っ掛かっている。 (上坂修子)
これだけの短い文章の中に、この国が抱える多くの問題がまとまって顔を出している。子どもの貧困、生活保護バッシング、扶養義務の強化、「奨学金」と称しつつ実は単なる貸付に過ぎない学生ローン…。
貧しい家庭に生まれた子どもが、これほど努力してもなお貧困から抜け出せないなら、それは単なる「格差」の問題などではなく、社会階層の固定化であり、この国が、生まれによって一生が決定される野蛮国に転落していくことを意味する。
東京新聞「本音のコラム」(9/18):
貧困と市場の公準 竹田茂夫
先月、「子供の貧困対策に関する大綱」が閣議決定された。だが、ひとり親世帯への児童扶養手当増額や給付型奨学金など、当事者の切実な要望は退けられ、既存の政策を寄せ集めて色をつけただけという形だ。
先進国で最悪レベルの子供の貧困率(子供の六人に一人が、年収約百二十万円以下の家庭に暮らす)や、異例に高い50%以上の母子家庭の貧困率が、今後さらに高まることは必至だ。財源難が表向きの理由だが、真の理由は別にある。
市場で売れるものを持つ者だけが生き残れるという市場経済の公準は、「働かざる者、食うべからず」という価値観に内面化されて押し付けられる。生活保護バッシングも同根だ。
…
市場の公準だけでは社会は崩壊する。だから、対極にある公準、権利としての福祉(健康で文化的な最低限度の生活)は政治が保証すべきものだ。「子供たちとお母さん」は空想上の米軍帰還船にいるのではなく、現にわれわれに助けを求めている。(法政大教授)
「経済が弱肉強食ならば、政治は弱者救済でなければならない」というのは辛淑玉さんの名言だが、資本主義国で市場原理だけに任せておいたら社会は必ず崩壊する。政治家に必要なのは、あり得ない想定で集団的自衛権行使容認をごり押しするような妄想力ではなく、現実に存在する弱者の境遇に思いを馳せることのできる真っ当な想像力なのだ。
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